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紙の梟 ハーシュソサエティ
貫井 徳郎
文藝春秋
2022-07-13



Tairaオススメ度:★★★★☆
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ここは、人を一人殺したら死刑になる世界――。

私たちは厳しい社会(harsh society)に生きているのではないか?
そんな思いに駆られたことはないだろうか。一度道を踏み外したら、二度と普通の生活を送ることができないのではないかという緊張感。過剰なまでの「正しさ」を要求される社会。
人間の無意識を抑圧し、心の自由を奪う社会のいびつさを拡大し、白日の下にさらすのがこの小説である。

恐ろしくて歪んだ世界に五つの物語が私たちを導く。

被害者のデザイナーは目と指と舌を失っていた。彼はなぜこんな酷い目に遭ったのか?――「見ざる、書かざる、言わざる」
孤絶した山間の別荘で起こった殺人。しかし、論理的に考えると犯人はこの中にいないことになる――「籠の中の鳥たち」
頻発するいじめ。だが、ある日いじめの首謀者の中学生が殺害される。驚くべき犯人の動機は?――「レミングの群れ」
俺はあいつを許さない。姉を殺した犯人は死をもって裁かれるべきだからだ――「猫は忘れない」
ある日恋人が殺害されたことを知る。しかし、その恋人は存在しない人間だった――「紙の梟」
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人を一人殺したら死刑になる。

読む前は、そこに何の問題があるのか不思議だった。
読み終えて、このような問題が起こり得るのかと、ある程度の説得力を持った作品だった。

確かに、人を一人殺すと死刑というルールが厳格に執行されてしまうと、正当防衛もしくは思いもよらず人を殺してしまった場合、情状酌量の余地が一切認められないということは大きな問題だと考える。

ただ、それは人を二人以上殺したら死刑になるという現代の不文律に置き換えても起こり得るのではないだろうか。
もちろん、人を一人殺すことと二人殺すことでは、そこにある悪意や覚悟が全く違うものになるとは思うけれど、どうだろうか。

明確な基準が示された方がわかりやすいけれど、揺らぎのような判断もやはり必要なんだろうと。
ただ人の死を判断する判決に人の揺らぎが介在しても良いのだろうか。
現実の司法はもっともっと厳密で厳格に判断されているのだろうと思う。
そう信じたい。