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積読とは、興味を持って購入した本や雑誌が未読のまま積み重なった状態のことを指します。
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僕の本棚には、面白そうだなと思って買ったものの、なかなか読めずに置いてある本がたくさんあります。
一体どれくらいあるのだろうか。と、この2、3か月くらいで購入した本を数えてみたところ、39冊のうち30冊くらいは読めていないってことに気がついた。
もっと前に買った本も加えると、とんでもない数の本が読めないまま積まれていることになる。
じゃあ買うのはやめて、積んである本から読みましょう。そんな真っ当で一切の誤りもない正論が聞こえてきそうですが、本屋さんに行くと、不思議なことにいつの間にか本を抱えてレジに並んでいるんですよね。しかもウキウキで。
じゃあそれは無駄かっていうと決してそういうわけではないのです。
本格的なミステリー小説が読みたいなと思ったら未読のミステリー小説が積んであるし、今日はエッセイの気分だなと思ったら多種多様なエッセイ本が積んである。今日なんて、後輩の話の腰を負ってしまったなと反省しているので、本棚から「まずは傾聴からです」なんてドンピシャな本を手に取り興味深く読んでいるし。
そうやって、必要なタイミングで本が選べるってのはとても心強い限り。と思っているけどどうだろうか。
この山口瞳大先生の「男の作法」も長い間読まずに置いてあったけど、昨日、なんとなく手にして一編読んでみたところ、あまりにも面白くて、この本を購入していた自分自身を流石だなと自我自賛してみたり。
例えばこの本にこんな言葉ある。
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人生は短い、でも焦るほど短くもない
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深く重く、それでいて心が軽やかになる素敵な言葉だと思いませんか。
図書館からたくさんのミステリー小説を借りているので、早く読まないといけないのに、そんなことは気にするなと背中を押してくれたような気さえします。
もはや、なんの話が書きたかったのかさえ分からなくなりましたが、きっと「積読は楽しいですよ」ということが言いたかったんだろうということで、今日のエッセイの練習は終わりにします。
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