Tairaオススメ度:★★★★★
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「倉持修を殺そう」と思ったのはいつからだろう。
悪魔の如きあの男のせいで、私の人生はいつも狂わされてきた。
そして数多くの人間が不幸になった。
あいつだけは生かしておいてはならない。
でも、私には殺すことができないのだ。
殺人者になるために、私に欠けているものはいったい何なのだろうか?
人が人を殺すという行為は如何なることか。
直木賞作家が描く、「憎悪」と「殺意」の一大叙事詩。
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「性善説」とは、中国の思想家「孟子」の教えで、その意味は「人の本性は本来善であるから、努力を惜しまなければ、立派な人間になることができる」とのこと。
「性悪説」とは、中国の思想家「荀子」の教えで、その意味は「本来の人間の性質は悪である。それが善になるのは人間の意思で努力することの結果である」とのこと。
果たして人間の性質はそのどちらだろうか。この本を読みながらそんなことを考えてみた。
騙す方が悪いのか、騙される方が悪いのか。
傍観者の視点から見ると、なぜそんなに簡単に騙されるのだろうかと思ってしまうけれど、きっと当事者になると、幾重にも仕組まれた巧妙な手口に簡単に騙されてしまうんだろうなと、だから世の中には詐欺が横行しているのだろうなと、そんな悲しいことを考えさせられた物語だった。
物語では、非道な詐欺を繰り返す集団やその中心人物である「倉持」に対し、主人公が復讐心を募らせていくことを軸に話が進んでいく。
警戒しながらも何度も何度も騙される主人公に対し、もどかしさと苛立ちを感じつつ、果たして自分だったらどうだろうかと考えると、大きな不安を感じてしまう。
騙す側には決してなりたくないし嫌悪感すら感じるけれど、騙される側にも絶対になりたくないと心から思ってしまった。
決してスッキリとする内容ではないけれど、興味深く読み応えのある作品だった。
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